お侍様 小劇場

   “団欒ハプニング” (お侍 番外編 41)

 


夕餉の後の後片付けにと、
キッチンの流しの前に立つ姿の、何とも優しく嫋やかなことか。
健気とも可憐とも言いがたい、手慣れた様子にこちらまでが安らぐ、
それはそれは他愛ない、だが だからこそ、
もしも失ってしまったならば、二度とはなかろう得難い一景に他ならず。
すっきりとした背中や、うなじに垂らされた金絲の房、
丁度そこへと伸ばされの、
肩紐がかかって乱された、襟を直す手の遊ぶ様や、
伏せ気味になっての視線がちらりと背後へ向いた、
あごの線やら目許の色香が、何とも言えず 味なそれだったので。

 「…っ? 勘兵衛様?」

ついのこととて、その背中、
独り占めしたくなっても、致し方がないというもので。
カーディガンの袖口を上げ、
白い腕を双方ともに、肘までからげてあらわにし。
水道の口ひねりかかった女房の、愛しいその後ろ姿に寄り添うと、
そおと腕を回してやって、その環の中へと封じ入れる。
懐ろにもすっかりと馴染んだ抱きようの、
胸回りの厚みやら、撫で肩の優しさ、背中の温み。
唐突な抱擁への、含羞み半分、身じろぎするそのくすぐったさやらを、
食後の甘味よろしく堪能しておれば、

 「…………うっ☆」

ドンと、背中の真ん中、息が詰まるツボへと目がけ、
積まれた皿の一番端を効果的に突き刺す、けしからん輩がいたりする。
肩越しに背後を見返れば、

 「…久蔵。」
 「シチの邪魔だ。」

大型犬でもあるまいに、
じゃれついとらんで退けと言いたいのが ありありしている御面相……に見えるは、
家人だけという限られた顔触れだけであるのだが。
それでも、日頃寡黙な鉄面皮の彼が、
それらしい気勢
(オーラ)を色濃く滲ませ、鋭い眼差しで睨み上げて来るのへは、

 「言うてくれおる。」

そうと非難される心当たりもあればこそ、
通じるところ多かりきな勘兵衛、にやりと笑い返してやって。
そして、

 「きゅ、久蔵殿?///////」

そちらはそちらで、
あやや、あのその、こんな風なのは あのですねと。
大人二人が何をまたべったりくっついているものかという状況を、
どう説明したものかと、慌てふためく可愛らしいおっ母様。
今更、その程度のスキンシップを見たところで、
大人なんてと泣きながら駆け出すような ネンネじゃあない次男だってのに。
いちいちあたふたする七郎次の方こそよほどに可愛いと思いつつ、

 「…?」

どうしたの?と、さりげなくも何も気づいてない振りでの小首を傾げ、
運んで来た食器類、どうぞと渡して…それからそれから。

 「…何をする。」
 「言うたろうが。」

これから七郎次が取り掛かる ひと仕事、
後片付けの邪魔になるだけだとばかり。
父上のズボンの腰あたり、
上へ着ているセーターの裾ごと背後から掴むとそのまんま、
力づくで引きずって戻ろうとする久蔵だったりし。
判った判ったと苦笑を零す勘兵衛といい、
それへ ふふんと鼻で微笑って見せる久蔵といい、

 「あらまあ…。」

無論のこと、真剣本気の喧嘩腰じゃあないのは明白だ。
むしろ、こんなおふざけが出来るまでになったこと、
御主不在の木曽のお屋敷を守っておいでの、
執事頭の篠宮さんを初めとする家人の皆様が見たならば、
何と 人の器の大きゅうなられてと、そっと涙をふくかもしれない成長ぶりで。
随分と和んだ様子の二人を見送り、

 「すぐにもお茶を、お持ちしますから。」

それまではどうか穏便にと、
伸びやかなお声、かけて差し上げたおっ母様だったりするのである。


     ◇◇◇




例年にないほど暖かだったり、
そうかと思えばそれなりの冷え込みがやって来たり。
暖冬なんだか厳冬なんだか、この冬はなかなか掴みどころがないままに、
それでも冬将軍が最後の踏ん張りを見せるだろう時期へと差しかかり。
この決算期のしかも平日には珍しくも、平時の帰宅となった勘兵衛だったので。
早めの夕食を家族全員で取り囲み、
それからという入浴となった御主が上がって戻ったリビングでは、
久蔵と七郎次が、何やら小さめの冊子を左右から覗き込み合っている様子。

 「??」
 「あ。上がられましたか。」

まだ少し、その豊かな髪に湿り気の残る勘兵衛なのでと。
そこは慣れたもの、すっと立って行った七郎次が、
リビングにも置き場所を作ってある戸棚からタオルを取り出し、
定位置に座した御主の後ろへ回ると、
拭い残しの裾あたり、軽く挟んでぱんぱんと叩き始める。
いつものことと、そこは久蔵も承知であるらしく、
傍らから立って行った母上の姿を視線が追ったものの、
特に不満げでもないようで。
一緒に覗いてた勝手からだろ、
お膝へ開いていた冊子をテーブルへと置いたので、
向かい側の勘兵衛にも中身が覗けて。

 「…クロスワードパズル?」
 「…。(頷)」

こくり頷く次男坊の仕草に続き、

 「久蔵殿は言葉をたくさん知っておいでなんですよ。」

七郎次の自慢げなお声が届く。
何でも懸賞付きの雑誌なのだそうで、

 「くじ運もいい久蔵殿なので、これまでにも色々と当ててくれているんですよ?」

商品券やクオカード、スィーツの詰め合わせに、月毎に届く花束。
映画や絵画展への招待券に、お取り寄せで有名な有機野菜や調味料セット。

 「洗剤1年分とか、ホント助かってるんですよvv」
 「ほほぉ。」

別段、そういったものものが買えない家計ではないけれど、
評判のとかお薦めのとかいうものが続々と届くのは楽しいし、
次男坊殿のくじ運あっての幸いなので、
そのまま何がしかの“幸せ”までも、
引き当てているように思えて来るというもので。

 「〜〜〜。/////」

大好きな母上からのお褒めの言葉にあっては、
これこそ判りやすくも頬を染め、首をすくめた久蔵だったのだけれども、

 「     …っ!!」
 「え?」

妙な間があっての後、その肩を震わせた彼だったのへ、
勘兵衛の髪から視線を上げたところだった七郎次がいち早く気づいて。

 「どうしま…、あっ。」

顔を上げないままなのへ、違和感を感じ…何をか見やってのそれからは速やかに。
さっと立ち上がったそのままキッチンまで向かった彼を視野の隅に見送りつつ、
勘兵衛もまた立ち上がっており。
テーブルを回ってすぐ傍らにまで身を寄せると、
自分で手元を押さえつけている久蔵の、
その手を退けさせ、件の箇所だけをむずと掴む。

 「…っ!」
 「こらえよ。傷の真上を押さえたほうが止血になる。」

雑菌が入るからやたら触ってはいけないだけで、
一番痛い場所ではあろうが止血を優先したいならこれが最善と。
そこは修羅場慣れしたお人なだけに、
大きな手により ぎゅむと手の側線ごと握っての、
速効的な止血を担当しておれば、

 「すみません、勘兵衛様。」

キッチンペーパーを箱ごとと、輪ゴムをやはりケースごと、
救急箱と共に抱えて来た七郎次が、反対側の間近足元へと戻って来て座り込み、

 「ホチキスが飛び出していたのですね。ほら、見せて。」

中綴じの雑誌、その真ん中に継ぎ目が向かい合ってたステプラーの針の上で、
不用意にも手をすべらせ擦ってしまった彼だったようで。
何枚も引っ張り出したペーパーで血を吸わせつつ、
傷の箇所が手よりも小指の側の側線だと確かめると、
数本の輪ゴムで根元をぐるぐる巻きにして、それから傷口へは絆創膏を張る。

 「しばらくはこのままでいましょうね。」

輪ゴムでの止血は、効果もあるが長引くと、
今度は無事だった毛細血管を切断しかねず、それはそれで危険だとかで。
なので様子を見ましょうねと、すぐの間近からの七郎次のお声かけ。
いつになく きりりと切迫した声だったのへ、

 「〜〜。(頷、頷)」

突発的な怪我よりも、おっ母様の真摯な様子に圧倒されたか、
久蔵がこわばったようなお顔になって頷く。

 「甲の方へと逸れないでよかった。大きな血管がありますからね。」

表側のそれは静脈ではあるけれど、それでも大ごとになったは違いなく、
常は冷たい方な手なの、ついでに暖めてやりたいような。
ああでもそうすると血が止まらなくなるかと、
そこまで考えが回るほど、随分と落ち着いて来たせいだろか。
すぐの間近になっていた、次男坊の胸元へ、おでこをぽそりと乗せ置いた七郎次。

 「??」
 「どうしたのじゃありません。」

びっくりして、何が何だかの無我夢中。
勘兵衛様だって、これでも随分と動転してらして、
全然余裕のないままな真顔になっておいでだというに、

 「あなたは昔っから、怪我をしても動転しない人なんだから…。」

今になって気が緩み、そうして…心配が押し寄せた七郎次であったのだろう。
そんなこんなを、今になって言いつのり始める始末。

  ―― 転んで擦りむいて、たいそう大きな怪我をした折もそうだった。
      傍づきの乳母さんがうろたえるのへ、ただただ済まぬと言うばかりで。
      今はもう跡形も残っちゃあいませんが、
      大人でもあまりの惨さに慄いた傷だった。
      本当は痛いのだろうにと、皆してどれほど案じたか。

熱があったときもそう、
麻疹だと判った発疹が出たそのときまで、
本当なら立ってられないはずの高熱だったのに隠し通して、と。
懐ろの中から次々と、詰るお言いよう、紡ぎ続けている彼であり。

 “今頃になって責められても…。”

心配性な七郎次なのは重々心得てもいたけれど、
我慢づよさが働くか、どれほど案じたかを相手に言うのはめずらしい。

 「〜〜。」

片や、宥めようなぞ知らない久蔵、
それこそだからこそ、案じないでと平気を取り繕っていたんだろうにね。
こうまで間近にいるのに、手まで取ってくれているのに、
お顔を上げてくれない七郎次へ、どうしていいのか判らぬか。
しまいには反対側にいる勘兵衛を見上げ、
きゅう〜んと、困ったの、どうにかしてというお顔になってしまうほど。
とはいえ、

 「…さてな。」

勘兵衛としては、それこそどちらの気持ちも判る身の上、

 「もう堪忍してくれというお主の言いようも判るが、
  それと同じほど、シチへとさんざん案じさせて来た身でもあるからの。」

執り成しができる身分じゃあないと、苦笑を零し。
それでも…そんな次男坊を、懐ろにいる七郎次ごと、
広い双腕
(かいな)の中へやんわりと抱きしめてやれば。

 「……そうですよ。勘兵衛様だって。」

本当にもうもう、このお人たちはもう、と。
やっとのことでその身が動いて、
七郎次が、きれいなお顔をこちらへと上げてくれたから。

 「…。/////////」
 「ええ、ええ。これからは気をつけてくださいね。
  それと、痛いなら痛いと言って下さい。」

こちらの胸へも切りつける、言わば悲鳴ではあるけれど。
無事な側が気遣われてどうするかと、自分が不甲斐なくなるからと、
それで…怒ったような言いようをしたのだろう七郎次だったが。


  「………。」


そんな言いようをする彼だとて、
その胸が切り裂かれるような想いをしても、決して言ってはくれないくせに。
久蔵が負った怪我のように、目に見えるものじゃあなくの、
見えないからこそ言ってくれねば判らぬ手合い、
誹謗中傷や戸惑い動揺、そういった手のことで大きく傷ついてしまっても、
決して表には出さない七郎次だろうにと、
それを思ったと同時、痛切に歯痒さを感じた勘兵衛であり。

  傷つき合った者たちが、
  傷めたその身を寄せ合う隠れ家だとまでは言わないけれど。

この、安らぎの家、果たしていつまで保てるものか、
そんな杞憂に背条をくすぐられたような気がした、
彼らの宗主殿であったのだった。






  〜Fine〜 09.02.04.


  *何てことない擦り傷ほど、甘える理由ができたとばかり擦り寄って、
   大きな怪我ほど黙ってそうな久蔵殿なんじゃないかと思いまして。
   ああ いっぱしの男の人ってのは皆そうでしょうかねぇ。
   でもま、今回の怪我は、
   そんな大騒ぎする手のもんじゃあありませなんだが。
   出血騒動といや、愛楯の方でも書いてますが、
   そして自分でもごとんと思い切りよく、指を切ったことが何度もありますが。
   誰もいない時ほど、もの凄く冷静に対処できるから不思議ですよねぇ。
(苦笑)

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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